大学の先生が書いた研究報告書、著作権は誰のもの?

今回は、大学の先生が行った研究の成果、例えば研究報告書などの著作権が誰に帰属するのか、という少し難しいけれど大切な問題について、一つの裁判例をもとに分かりやすく解説してみたいと思います。

大学の先生は日々、研究や教育活動の中で様々な論文や資料を作成していますよね。では、その著作権は当然、作成した先生個人のものなのでしょうか?実は、そうとも限らないケースがあるのです。特に、大学が外部の機関と契約を結んで行う「共同研究」などの場合、「職務著作」という考え方が関わってきます。

今回取り上げるのは、「北見市環境調査報告書事件」(知財高判平成22年8月4日・裁判所ウェブサイト)という裁判例です。この事件を通して、「職務著作」とは何か、そして大学特有の「学問の自由」とどう関わるのかを見ていきましょう。

1.「職務著作」って何ですか?

まず、「職務著作」という言葉の意味から説明します。

著作権法という法律には、第15条に「職務著作」に関する定めがあります。これは、簡単に言うと、会社(法人など)に雇われている人(従業員など)が、会社の指示や企画に基づいて、仕事として著作物を作成し、それが会社の名義で発表される場合には、原則として、その著作物を作ったのは会社であるとみなす、というルールです。

もう少し具体的に、職務著作が認められるための主な条件を見てみましょう。

  1. 法人等の発意に基づくこと: 会社(大学など)が「こういう著作物を作ろう」と企画したり、従業員(教員など)に作成を命じたり、あるいは従業員が作ることを承認した場合です。従業員が会社の業務計画などに従って仕事をする中で、その著作物を作ることが予定・予期される場合も含まれます。

  2. 法人等の業務に従事する者が職務上作成したものであること: 会社の従業員(大学の教員など)が、自分の仕事としてその著作物を作成した場合です。

  3. 法人等が自己の著作の名義の下に公表するものであること: 会社(大学など)の名前で、その著作物が世の中に発表される(または発表される予定である)場合です。

  4. 作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがないこと: 著作物を作った時点で、「著作権は作成した従業員(教員)個人に属する」といった特別な取り決めが、契約書や就業規則などで定められていない場合です。

これらの条件をすべて満たすと、実際に文章を書いたり絵を描いたりしたのは個人であっても、法律上は会社(大学など)が著作者となり、著作権(財産権)だけでなく、著作者人格権(氏名表示権や同一性保持権など、著作者の人格的な利益を守る権利)も会社(大学など)に帰属することになります。

2.「北見市環境調査報告書事件」の概要

では、今回題材とする「北見市環境調査報告書事件」がどのような事件だったのか、見ていきましょう。

  • 登場人物:

    • Xさん:ある国立大学法人Y(以下「大学」)の准教授。環境分野の研究者です。

    • Y(大学):Xさんが勤務する国立大学法人。

    • 北見市など:大学Yと共同で研究を行う契約を結んだ外部機関。

  • 経緯:

    1. 大学Yは、北見市などとの間で、環境調査に関する共同研究を行う契約を毎年結んでいました。

    2. Xさんは、この共同研究に長年、大学側の研究代表者として参加していました。

    3. 共同研究の契約には、「研究成果について報告書をとりまとめること」や「研究成果の公表時期や方法は協議して定めること」などが定められていました。

    4. Xさんは、平成15年度までの報告書作成に関わりましたが、その後、停職処分を受け、研究に参加できなくなりました。

    5. Xさんが参加しなくなった後も、大学Yは、Xさん以外の教員で研究を続け、平成16年度と17年度の研究報告書(以下「本件報告書」)を大学Yの名義で作成・印刷し、北見市などに配布しました。

  • Xさんの訴え: Xさんは、「自分が関わって作成した平成15年度の報告書(以下「元になった報告書」)の著作権は自分にある。大学Yが、自分の許可なく元になった報告書を改変して(※内容が一部利用された)、大学Y名義の本件報告書を作成・配布したのは、自分の著作権(複製権)や著作者人格権(同一性保持権)を侵害する行為だ!」と主張して、大学Yを訴えました。

  • 大学Yの反論: 大学Yは、「元になった報告書も、本件報告書も、大学の『職務著作』にあたる。だから、著作者は大学Yであり、Xさん個人の権利を侵害してはいない」と反論しました。

3.裁判所の判断:「職務著作」にあたるか?学問の自由は?

この事件の最大の争点は、「元になった報告書」が大学Yの「職務著作」にあたるかどうか、でした。もし職務著作にあたるなら、著作者は大学Yであり、Xさんの訴えは認められません。

裁判所(第一審の地方裁判所、控訴審の知的財産高等裁判所)は、大学Yの主張を認め、Xさんの訴えを退けました。つまり、「元になった報告書」は大学Yの職務著作であると判断したのです。

その理由を、職務著作の要件に沿って見てみましょう。

  1. 法人等の発意に基づくか? 裁判所は、①Xさんが大学Yの准教授(雇用関係がある)であること、②共同研究は大学Yと北見市などとの契約に基づいて行われ、大学Yには契約内容に従って研究を実施・遂行する義務があったこと、③Xさんは大学Y側の研究担当者として、大学Yの義務を履行するために研究に参加し、大学Yの指揮監督に服していたこと、④共同研究契約には報告書の作成が定められていたことなどから、「報告書の作成は、大学Yが北見市等との契約に従って、Xさんが職務として遂行する上で予定されていたものであり、大学Yの発意に基づく」と判断しました。

  2. 職務上作成したものか? 上記と同様の理由(雇用関係、契約に基づく研究担当者としての参加など)から、報告書は「大学Yの業務に従事するXさんが、職務上作成したものである」と判断されました。

  3. 法人等の名義で公表されたものか? 報告書の表紙には「北見工業大学地域共同研究センター」などの記載があり、大学Yの研究機関名が示されていました。また、まえがきにも大学Yと北見市との共同研究であることが明記され、個々の執筆者名は本文中にはなく、研究メンバーとしてXさんを含む担当者の氏名が列挙されている形式でした。さらに、大学Yの規程で、共同研究の成果公表は学長の権限とされていたことなどから、報告書は「大学Yの著作の名義の下に公表したもの」と認められました。

  4. 別段の定めはあったか? Xさんは、大学Yの職務発明規程でプログラムやデータベース以外の著作物が除外されていることを根拠に「別段の定め」があると主張しましたが、裁判所は、その規程は他の著作物について何も定めていないとして、Xさんの主張を退けました。つまり、著作権をXさん個人に帰属させるような特別な定めはなかったと判断されました。

「学問の自由」との関係は?

Xさんは、「大学の研究には『学問の自由』(憲法23条)が保障されているのだから、一般企業と同じように簡単に職務著作を認めるべきではない。職務著作の適用はもっと慎重に、厳しく判断されるべきだ」とも主張しました。研究活動やその成果発表の自由が制約されることを懸念したのですね。

しかし、裁判所はこの主張も退けました。その理由として、「大学における通常の研究活動に学問の自由が保障されるのは当然だが、本件のように、大学が外部の団体と契約を結んで行う研究活動についてまで、学問の自由を理由に職務著作の規定の適用が制約されることにはならない」と述べました。

また、大学の研究成果を民間企業などに移転し活用することを促進する法律(大学等技術移転促進法)の趣旨にも触れ、外部機関との契約に基づく研究成果については、大学に権利が帰属する方が、研究成果の活用や継続的な研究の実施にとって合理的である、との考え方も示唆されました。もし研究者個人に権利が帰属すると、費用を出した外部機関が成果を自由に使えなかったり、研究者が退職した場合に研究の継続が困難になったりする恐れがある、という実践的な配慮も示されています。

4.この事件から考えられること

この「北見市環境調査報告書事件」は、大学の教員が外部機関との共同研究契約に基づいて作成した研究報告書について、職務著作の成立を認めた重要な事例です。

ポイントは、契約に基づく研究活動であったという点です。大学が組織として外部と契約を結び、教員がその契約履行の一環として職務上作成し、大学名義で公表する著作物については、たとえ大学であっても、職務著作が成立し、著作権は大学に帰属する可能性が高い、ということが示されました。この場合、「学問の自由」を理由に職務著作の適用を否定することは難しい、というのが裁判所の判断でした。

ただし、注意したいのは、大学の先生が作成する全ての著作物が職務著作になるわけではないということです。例えば、先生が個人的な探求心に基づいて執筆した論文や、日々の講義のために作成した講義ノートなどは、必ずしも大学の「発意」に基づき、「職務上」作成されたとは言えず、多くの場合、先生個人の著作物として扱われると考えられます。今回の判決も、「大学における通常の研究活動」については学問の自由が保障されることを認めています。

近年、大学には、研究成果を社会に還元し、産業界との連携を深める役割がより期待されるようになっています。共同研究や委託研究も増えています。そのような状況の中で、研究成果である著作物の権利関係をどう整理するかは、大学にとっても、研究者個人にとっても、そして社会にとっても重要な課題です。

職務著作の制度は、著作物の利用や流通を円滑にする側面がありますが、一方で、実際に創作活動を行った研究者の意欲や、学問の自由とのバランスをどう取るか、という難しい問題もはらんでいます。

5.大学の先生方へのメッセージ・教訓

この事件は、日々研究・教育活動に邁進されている大学の先生方にとっても、示唆に富む点が多く含まれています。

  • 外部資金や共同研究における権利関係の確認を: ご自身の純粋な学術探求とは別に、企業や自治体等との共同研究、受託研究など、外部との契約に基づいて研究・開発を行う機会が増えているかと思います。このような場合、成果物の著作権が誰に帰属するかは、契約内容や大学の規程に大きく左右されます。職務著作の要件に該当すれば、ご自身が執筆されたとしても、大学に権利が帰属する可能性があることをまず認識しておくことが重要です。

  • 「別段の定め」の重要性: もし、特定の成果物についてご自身の権利を確保したい、あるいは利用条件について明確にしておきたいという希望がある場合は、研究開始前や契約時に、大学の担当部署(研究協力課、TLO、法務担当など)とよく相談し、必要であれば契約書や覚書等で「別段の定め」を設けることを検討しましょう。この事件でも、明確な「別段の定め」がなかったことが、原告の主張が退けられる一因となりました。

  • 学問の自由と契約上の義務のバランス: 学問の自由は大学における研究活動の根幹ですが、契約に基づく研究活動においては、契約上の義務(成果報告書の提出義務など)も同時に発生します。そのバランスを意識し、ご自身の権利だけでなく、契約相手や大学組織全体の立場も理解した上で、円滑な研究活動を進める視点も大切になります。

  • 積極的な情報収集と対話を: ご自身の大学の知的財産に関する規程(職務発明規程など)がどのようになっているか、著作権の扱いはどう定められているか、改めて確認してみることをお勧めします。不明な点があれば、積極的に大学の担当部署に質問し、認識の齟齬がないようにすることが、無用なトラブルを避ける第一歩となります。

研究成果の社会還元が求められる時代にあって、先生方の創造的な活動が円滑に進み、その成果が適切に評価され活用されるためにも、権利関係についての意識を高めておくことは、今後ますます重要になるでしょう。

6.まとめ

今回は、「北見市環境調査報告書事件」を通して、大学における研究成果と職務著作、そして学問の自由について見てきました。

  • 大学の教員が作成した著作物でも、「職務著作」の要件を満たす場合は、著作権は大学に帰属することがあります。

  • 特に、大学が外部機関と契約を結んで行う共同研究などの成果物は、職務著作と判断される可能性が高くなります。

  • その場合、「学問の自由」を理由に職務著作の成立を否定するのは難しいと裁判所は判断しました。

  • ただし、教員の個人的な研究論文や講義資料など、全ての著作物が職務著作になるわけではありません。

大学における研究活動が多様化する中で、著作権の帰属は複雑な問題ですが、この事件は一つの重要な判断基準を示してくれたと言えるでしょう。研究に関わる方は、ご自身の活動が生み出す著作物の権利について、一度考えてみるきっかけになるかもしれませんね。

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大熊裕司
弁護士 大熊 裕司
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