はじめに
いわゆる「タコの滑り台事件」は、原告が「タコの形状を模した公園の遊具である滑り台」について著作権(美術の著作物または建築の著作物)を有すると主張し、被告が別の公園整備工事でタコ形状の滑り台を製作したことが著作権侵害(複製・翻案)に当たるとして損害賠償等を求めたものです。
本件では、一審・東京地方裁判所判決(令和元年(ワ)第21993号、令和3年4月28日)および、これを不服として原告が控訴した控訴審・知的財産高等裁判所判決(令和3年(ネ)第10044号、令和3年12月8日)が存在します。結論としては、どちらも「タコの滑り台は著作物には該当しない」と判断し、原告の請求を棄却しました。ただし、控訴審では、いわゆる“タコの頭部の天蓋部分”などについて、一審よりやや踏み込んだ説示を行いましたが、最終的に著作物性を認めない点は一致しています。
以下では、地裁判決(原審)と高裁判決(控訴審)を順番に解説し、両者の異なる点にも言及します。
1.東京地裁判決(令和3年4月28日)概要
(1) 事件番号等
事件番号:令和元年(ワ)第21993号
判決日:令和3年4月28日
掲載誌・出典
判例時報2514号110頁
ジュリスト1563号8頁
知的財産法政策学研究63号323頁(山田亮)
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
(2) 事案の概要
原告の前身企業が長年にわたり“タコの形状を模したセメント遊具(タコの滑り台)”を全国各地に製造・納入していたという事実関係がありました。原告はこのタコ滑り台について、自らが前身企業から譲り受けた著作権を有すると主張しました。
一方、被告は別の公園整備工事の受注企業から下請を受け、タコ形状の滑り台を2基(東久留米市・足立区)製作・納入しました。原告は、これが著作権侵害(複製または翻案)に当たるとして、1基当たり216万円を損害と算定して損害賠償請求し、あるいは不当利得返還を求めたものです。
原告の滑り台
被告の滑り台
(3) 地裁の判断の骨子
ア.“美術の著作物”該当性の否定
地裁はまず、本件タコの滑り台が「応用美術」に属することを認めつつも、著作権法2条2項所定の「美術工芸品」または10条1項4号所定の「美術の著作物」に当たるかを検討しました。そのうえで、タコの頭部・足部・空洞(トンネル)等 がいずれも滑り台という実用目的に不可欠ないし強く結び付いた構成である。
タコの頭部も内部が空洞化し、複数のスライダーや取っ手等を備えることが実用機能と不可分と判断。
滑り台の全体を見ても、遊具としての機能から独立して「美術鑑賞の対象となり得る美的特性」が把握できない。
イ.“建築の著作物”該当性の否定
続いて原告は、タコの滑り台が「建築基準法上の建築物に類する構造を有する」ため「建築の著作物」に当たるとも主張しました。しかし地裁は、「建築の著作物」にも応用美術同様の基準が妥当し、同じく著作物性を否定。「遊具としての機能と密接不可分であり、美的鑑賞対象としての創作表現が把握できない」としたのです。ウ.結論
以上により、地裁は著作物に当たらないとして原告の著作権侵害の主張を退け、併せて不当利得返還請求も理由なしとして棄却しました。
(4) “天蓋”部分の扱い
地裁判決は、タコの頭部全体について「スライダー等の機能と強く結び付いており、分離して美術性を認めることはできない」と説示しており、“天蓋(頭頂)”を個別に分割して判断する場面は判決文で大きく取り上げられませんでした。結果として、頭部全体を機能面と不可分と認定し、著作物性を否定したものです。
2.知財高裁判決(令和3年12月8日)概要
(1) 事件番号等
事件番号:令和3年(ネ)第10044号
判決日:令和3年12月8日
掲載誌・出典
裁判所ウェブサイト
知的財産法政策学研究66号9頁(田村善之)
主文:本件控訴を棄却、控訴費用は控訴人(原告)の負担
結論:一審判決を是認、原告の著作物性主張を排斥
(2) 確認された争点
原告が控訴し、改めて「タコの滑り台」が美術または建築の著作物に該当するという主張を展開しましたが、知財高裁は一審の判断枠組みに沿って慎重に検討しました。
(3) 高裁での「天蓋部分」へのやや踏み込んだ言及
知財高裁判決は、一審よりやや丁寧に“タコの頭部”について、機能的必然かどうかを言及しています。その中で、「頭部のうちスライダーを覆う半球状の天蓋部は、必ずしも利用者の落下防止等の実用機能に直結するわけではないかもしれない」との示唆をしています。
しかし、そのうえで「仮に天蓋部分を機能面から切り離して観念してみても、単純な略半球形であり、美術鑑賞の対象としうるほどの創作的表現が具備されているとは言いがたい」と判断し、やはり著作物性は認められないと結論づけました。
(4) 一審との異なる点
判示上の微妙な違い
一審がタコの頭部を“全体として機能不可分”とまとめて扱ったのに対し、控訴審は「天蓋部分のみ機能必然とはいえないかもしれない」と一歩踏み込んだ議論を展開しています。結論は同じ
しかし、「天蓋部分を独立に分離しても、著作権法上の美術の著作物として成立するほどの創作的な造形とはいえない」として、一審同様に著作物性を否定しました。最終的には「応用美術として著作権法上の保護を受けるには至らない」とし、原告の控訴を棄却するに至っています。
3.まとめ:地裁・高裁の共通点と違い
共通点(結論)
地裁・高裁ともに、「タコの滑り台」を「美術の著作物」や「建築の著作物」として保護することはできないという結論に到達し、原告の請求をいずれも棄却。
遊具としての機能性と造形の不可分性を重視し、「実用目的から独立した美術鑑賞の対象となり得る創作表現とは評価できない」との立場を貫いている。
差異(説示の細部)
高裁は、地裁判決が大まかに「頭部・足部すべて機能に強く結びつく」としたのに比し、「天蓋部分は機能的必然ではない可能性がある」と検討を行った。しかし結局、「それを単独で見ても、創作性を認めるには至らない」として著作物性は否定された。
4.全体の意義
本件は、いわゆる応用美術(公園遊具)について、「実用目的を達成するための構成と芸術性とがいかに区別できるか?」が問題となりました。裁判所はいずれの審級でも、
との基準を示し、タコの滑り台は分離可能とは認められないか、分離できたとしても創作性を肯定するに至らないという理由付けを述べました。
結果的に、「タコの滑り台」の著作物性は否定され、また被告の製作行為が著作権侵害を構成するとはいえないとされ、原告の請求はすべて棄却となっています。
なお、高裁判決でわずかに示唆された「天蓋部分は必須機能ではないのでは?」という視点も、著作物として保護されるまでの創作性とは認められないという結論に落ち着き、原審・控訴審の結論は同じ方向に収斂しました。したがって、この事件は、応用美術・建築の著作物における“機能との分離可能性”を改めて浮き彫りにした裁判例として注目されます。