はじめに
近年、AI(人工知能)やビッグデータなどの新技術が急速に発展し、大量のデータを収集・分析することで、多様なサービスや製品を開発する動きが活発になっています。こうした社会変革の潮流に対応するため、2018年(平成30年)の著作権法改正では、「柔軟な権利制限規定」と呼ばれる仕組みが導入されました。その中でも特に注目されるのが第30条の4です。これは、著作物の利用目的がいわゆる“鑑賞(感情の享受)”ではないケースについて、一定の要件を満たせば著作権者の許諾を得ずに利用できる可能性を示す重要な条文といえます。
本記事では、初心者の方にも分かりやすいように、第30条の4の条文を示しつつ、その意義や適用範囲、注意点、そしてAI・ビッグデータ時代の具体的な活用例を詳しく解説します。
1.第30条の4の条文を読む
まずは条文そのものを確認しましょう。現行の著作権法では、第30条の4は次のように定められています(趣旨が分かりやすいよう一部改行を加えています)。
ここで大事なポイントは、大きく分けて「感情の享受を目的としない利用」であることと、「著作権者の利益を不当に害しないこと」の2点です。これらを1つずつ噛み砕いて解説していきます。
2.「感情の享受を目的としない利用」とは?
2-1.“楽しむ”ことが目的でない利用
著作物には、読む・見る・聴くといった行為によって、人間が鑑賞し、感動や喜びを得る機能があります。これを法律上では「思想又は感情の享受」と表現します。たとえば、映画を上映して観客を楽しませる行為や、音楽を聴衆に聴かせる行為は、まさに「感情の享受」が目的です。
しかし、第30条の4が対象とするのは、著作物を「鑑賞」するわけではなく、データ分析や検証など技術的・実務的な目的のために利用するケースです。具体例としては、AIの学習用データとして著作物を取り込んだり、ソフトウェアの互換性を検証するためにコードを分析したりする行為が挙げられます。ここで重要なのは「作品自体を味わうのが目的ではない」という点です。
2-2.データ解析・マイニングへの活用
AIやビッグデータの分野では、大量の文章・画像・音声などを“素材”として取り込み、機械学習のアルゴリズムで分析を行います。著作物そのものを人間が鑑賞するのではなく、あくまでもシステムがパターンを学習することが目的となります。これが典型的な「感情の享受を目的としない利用」に当たるとされ、AI研究における学習データの取得や解析が可能になります。
3.「著作権者の利益を不当に害しない」とは?
3-1.正当な市場を奪わないこと
条文の後半で示されている「著作権者の利益を不当に害する」かどうかの判断は非常に重要です。たとえば、本来であれば著作物を購入することで得られる収益を、無断利用によって大きく失わせてしまう行為は、著作権者の正当な利益を侵害すると考えられます。
一方、AI開発のために一部をコピーしたり、テストで短い断片を分析したりする行為は、作品の本来の価値を毀損するものではなく、著作権者の市場を直接奪うわけでもありません。こうした場合は「不当に害する」とは言えないので、改正後の柔軟な権利制限規定のもとでは、利用が認められやすくなります。
3-2.「必要と認められる限度」について
「その必要と認められる限度において」という文言は、無制限の利用が許されるわけではないことを示します。どの程度の複製・加工が「必要」と言えるかは、利用の目的や手段に即して判断されます。例えば、AIの学習用データとして必要最小限のサンプルを収集する場合はOKでも、元の著作物をほぼ丸ごと公開してしまうような形になるとNG、というように事例ごとに線引きが必要です。
4.具体的な適用シーン
4-1.AI・ディープラーニングによる画像解析
AI技術では、膨大な画像データをもとにパターンを学習し、物体認識や顔認証などを高度化しています。この学習に必要な画像を無断でコピー・蓄積する場合、従来の著作権法の考え方では「すべて許諾が必要なのでは?」という疑問がありました。しかし、第30条の4が適用されれば、あくまで“鑑賞”が目的ではなく、“解析”が主目的となるため、著作権者の利益を不当に害さない範囲に限り、画像を学習用データとして利用しやすくなります。
4-2.ビッグデータ解析・テキストマイニング
SNSの投稿やウェブ記事などから膨大な文章データを収集し、テキストマイニングを行って世論動向を分析する手法があります。これも多くの場合は「文章を楽しむ」のではなく、統計的な傾向や言語パターンの抽出が目的です。したがって、第30条の4の条件(必要な範囲に限り、著作権者の正当な利益を害さない)を満たせば、研究・開発や社会調査の場面で活用可能となります。
4-3.プログラム解析・互換性テスト
ソフトウェア同士の互換性を確認するため、コードの一部を解析したり試験的に複製したりする場合も、「感情の享受」とは無縁の行為といえます。プログラムは著作物に該当しますが、第30条の4が適用されれば、著作権者の正当な利益を著しく損なわない範囲であれば、許可なくコードを調査できる可能性があります。たとえば、動作検証やバグ修正のためにデバッグを行うときなどが典型例です。
5.注意点:何でも自由になるわけではない
5-1.条文の「ただし書き」に注目
条文後半の「ただし書き」では、「当該著作物の種類及び用途並びにその利用の態様に照らして著作権者の利益を不当に害することとなると認められる場合には、当該著作物の利用をすることができない」と明記されています。
したがって、研究・開発と称して実質的には作品を大量にコピーし、無断でネット上にアップロードするなど、著作権者が本来得られるはずの利益を奪うような行為は認められません。あくまでも“必要最小限の利用”にとどめることが必要です。
5-2.他の権利制限規定との関係
著作権法には、引用(第32条)や私的複製(第30条)など、多彩な権利制限規定が存在します。場面によっては、これらの規定のほうが使いやすい場合もあるでしょう。第30条の4は「感情の享受を目的としない利用」を幅広くカバーする一方、引用や教育機関向けの権利制限(第35条など)のほうが、より具体的な要件を定めているケースもあります。自分の行為がどの条文に当たるかをしっかり把握し、必要に応じて専門家に確認することが大切です。
5-3.グレーゾーンでは権利者の許諾が安心
利用方法がどうしてもグレーゾーンに思える場合には、可能な限り権利者から利用許諾を得ることがリスク回避の基本です。特にビジネスとして展開する場合や、成果物を大規模に公表する場合には、後々の訴訟リスクを避けるためにも、事前の調整を行うことをおすすめします。
6.改正著作権法 第30条の4の意義
6-1.技術革新と法制度のバランス
AI・ビッグデータ時代では、新技術の発展を阻害しない柔軟な法制度が求められます。同時に、著作権者の正当な権益を守る必要もあります。この両立を図るために整備されたのが「柔軟な権利制限規定」です。第30条の4は、その中核を担う条文として位置付けられており、分析・研究目的なら著作権者の許諾なしで利用しやすくなった点が大きな特徴です。
6-2.イノベーションの促進
この規定がなければ、AIの学習データを確保するために都度すべての著作権者に連絡を取る必要があるなど、現実的に不可能に近い作業を強いられるケースもあり得ます。第30条の4により、社会的に有用なイノベーションが生まれやすくなり、日本の産業競争力や技術力の向上につながることが期待されています。
7.今後の動向と展望
7-1.さらなる技術進歩への対応
AIだけでなく、量子コンピュータやメタバースなど、新たなテクノロジーが次々と登場してきています。著作物の利用形態もますます多様化するため、今後も著作権法は追加や改正を重ねていく可能性が高いです。
柔軟な権利制限規定が一度導入されたからといって、それで問題がすべて解決するわけではありません。技術の進歩に合わせて、さらなる法制度のアップデートが求められるでしょう。
7-2.国際的なルールづくり
著作権法は国ごとに制度が異なりますが、インターネットの普及で国境を越えた利用が当たり前の時代になり、国際的な調整も大きな課題です。日本の第30条の4に相当する制度がない国とのやり取りや、海外の著作物を利用するケースでは、当該国の法律との整合性を検討しなければなりません。グローバルな視点でのルール整備がますます重要になるでしょう。
8.まとめ
著作権法第30条の4は、2018年の改正で導入された「柔軟な権利制限規定」を代表する重要な条文です。「著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない」という条件を満たし、かつ「著作権者の利益を不当に害しない」範囲であれば、権利者の許諾なしで著作物を利用できる可能性があります。これは、AI・ビッグデータ時代のイノベーションを促進するうえで大きな役割を果たしています。
ただし、「必要と認められる限度」に限られることや、「不当に著作権者の利益を侵害しない」ことが必須である点を忘れてはなりません。条文のただし書きが示す通り、利用方法が著作物の市場を壊してしまうような場合には、当然ながら本条の適用外となります。実務での判断に迷う際には、権利者との合意や専門家への相談を行いながら進めるのが安全策でしょう。
本稿が、著作権法に関心のある方が第30条の4を理解し、具体的にどのようなシーンで利用できるかを考える一助となれば幸いです。社会や技術の変化に合わせて法制度もアップデートが続くと考えられるため、日頃から最新の情報をチェックし、自身の活動に適切に活かしていきましょう。