
はじめに
研究室や共同研究の現場で作られたプログラムが、企業の業務システムに組み込まれていく――理工系では珍しくない流れです。ところが十数年後に「あの中核は自分が書いた」「無断で改変された」と主張しようとすると、思わぬ壁にぶつかります。自分が書いたはずのプログラムが、いま手元に1行も残っていないという壁です。
本稿で取り上げるのは、知的財産高等裁判所第4部・令和8年(2026年)7月22日判決(令和8年(ネ)第10014号 損害賠償請求控訴事件、原審・大阪地方裁判所令和7年(ワ)第3632号)・判決文PDF・裁判所ウェブサイトです。斜面の安定解析プログラムをめぐり、控訴人(原審原告。判決文が符号Xで表示している当事者です)が被控訴人ニタコンサルタント株式会社(原審被告)に対して2800万円の損害賠償を求めた事案ですが、この請求は一審・控訴審とも全部棄却され、ニタコンサルタント株式会社の側に賠償責任は認められませんでした。以下、記事本文および図中の「被控訴人(原審被告)」は同社を指します。裁判所が同社について著作権侵害を認定した事実はありません。
決め手になったのは、プログラムが似ているかどうかでも、改変が翻案に当たるかどうかでもありません。あなたが著作物だと言うプログラムは、どのような具体的記述だったのかという、侵害論の一歩手前の問いでした。ここに答えられなかったために、著作物の存在自体が認められず、ソースコードの文書提出命令の申立ても、本人尋問・証人尋問の申出も、いずれも「必要性を欠く」として却下されています。

▲ 図1 当事者と「2つのプログラム」の位置関係
前提知識の整理
- プログラムの著作物……著作権法は、電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したものを「プログラム」と定義し(著作権法2条1項10号の2)、これを保護対象としています(同法10条1項9号)。保護されるのは表現としての記述であって、アルゴリズムや解析手法といったアイデアそのものではありません。
- 著作者・共同著作物……著作者とは著作物を創作する者をいい(同法2条1項2号)、誰が著作者かは契約や役職ではなく創作的表現を現実に作り出したのは誰かで決まります。2人以上が共同して創作し、各人の寄与を分離して個別的に利用できないものが共同著作物です(同法2条1項12号)。
- 複製権・翻案権・同一性保持権……無断複製は複製権(同法21条)、本質的特徴を残した改変による別著作物の作成は翻案権(同法27条)、意に反する改変は同一性保持権(同法20条)の問題です。本件で控訴人が主張したのは、この3つの侵害でした。
- 証拠調べの必要性……当事者が申し出た証拠であっても、裁判所が必要でないと認めるものは取り調べる必要がありません(民事訴訟法181条1項)。相手方の持つ文書を出させる文書提出命令も、取り調べる必要があることが前提です。
押さえておきたいのは、著作権侵害を主張する側は、まず「自分の著作物」を土俵に上げなければならないことです。土俵に上がっていないものと相手方の物とを比べることはできません。
事案の概要
控訴人(原審原告)Xは、被控訴人ニタコンサルタント株式会社(以下「ニタコンサルタント」といいます)に対し、原判決別紙プログラム目録記載のプログラム(本件プログラム)が控訴人の著作物または共同著作物であり、ニタコンサルタントによる本件プログラムの改変が控訴人の著作権(複製権または翻案権)および著作者人格権(同一性保持権)の侵害に当たると主張して、不法行為に基づく損害賠償を請求しました。以下に述べるとおり、この主張は一審・控訴審とも認められていません。請求額は2800万円(3080万円のうちの一部請求)と、令和7年5月13日から支払済みまで年3パーセントの遅延損害金です。
事案の背景として判決文に現れるのは、「非定常浸透流下にある斜面の安定解析プログラムの開発」と題する論文(甲1論文)の存在と、その第一執筆者がAであったことです。控訴人は、自らが作成したプログラム(原告プログラム)が本件プログラムの中核になっていると主張しました。
これに対しニタコンサルタントは、原審の答弁書において、甲1論文についてはAが控訴人の研究室で使用されていたプログラムを連動させて計算し学会発表したと述べるにとどまり、本件プログラムは同社の従業員であるAが修正しBが新たに作成するなどして作成されたもので原告プログラムの内容は明らかでないと主張していました(判決文が摘示するニタコンサルタント側の主張であり、裁判所の事実認定ではありません)。
原審・大阪地方裁判所は、本件プログラムの著作者または共同著作者が控訴人であるとは認められないとして請求を棄却し、控訴人が控訴しました。控訴審判決は前提事実・主要な争点・当事者の主張を原判決から引用しており、軽微な誤記の訂正が加えられているのみです。

▲ 図2 手続の経過
争点
判決文は「争点」として番号を立てていませんが、控訴審が判断した事項は次のように整理できます(1が総論、2〜4が控訴人の補充主張に対する判断)。
- 本件プログラムの著作者または共同著作者が控訴人と認められるか
- Aが甲1論文について中心的な役割を果たしたと認定した原判決に、事実誤認があるか
- ニタコンサルタントが中核部分について控訴人作成のプログラムを利用していることを自白したのに、原判決がこれを看過した事実誤認があるか
- 原審がソースコードの文書提出命令の申立てと人証の申出を却下したことに誤りがあるか
裁判所の判断
結論
主文は「1 本件控訴を棄却する。」「2 控訴費用は控訴人の負担とする。」で、認容額は0円です。総論として、裁判所は「当審も、本件プログラムの著作者又は共同著作者が控訴人であるとは認められないから、控訴人の請求は理由がないと判断する。」と述べ、原判決を維持しました。
争点2について――本判決の核心
Aの役割に関する事実認定の誤りをいう主張について、裁判所は次のように判断しています。
前記引用に係る原判決の判示のとおり、甲1論文を含め本件全証拠によっても、原告プログラムの具体的記述として何が作成されたのか全く不明といわざるを得ないから、著作物としての原告プログラムが存在するとは認められず、本件プログラムとの関係を検討することもできない以上、本件プログラムの著作者又は共同著作者が控訴人であると認めることはできない。
そのうえで、「Aが甲1論文について中心的な役割を果たしたとの事実認定を前提として判断はされておらず、その事実いかんによって上記判断が左右されるものではない。」としました。
ここが本判決の要です。裁判所は寄与度の比較をしたのではなく、原告プログラムという著作物の存在自体が証拠上認められないと判断しました。存在が認められない以上、本件プログラムとの異同を検討する場面にも入りません。誰が中心的役割を果たしたかという論争は、判断の前提にすらなっていないのです。
争点3について――「自白」の否定
控訴人は、原告プログラムの内容を明らかにしたうえでニタコンサルタントが中核部分の利用を自白していると主張しました。裁判所はまず「控訴人が指摘する控訴人の陳述書(甲21、32)によっても、原告プログラムの具体的記述が明らかにされているとはいえない。」と述べています。本人の陳述書は具体的記述を特定する手段としては足りなかったわけです。そのうえで前記のニタコンサルタントの答弁書の主張内容を摘示し、「被控訴人が本件プログラムの少なくとも中核部分については控訴人が作成したプログラムを利用していることを自白したということはできない。」と結論づけました(引用中の「被控訴人」がニタコンサルタントです)。
争点4について――文書提出命令・尋問の却下
控訴人は、ソースコードや控訴人本人・Aの尋問が真相解明に必要不可欠であったと主張しました。これに対する判断は次のとおりです。
控訴人は、原告プログラムの具体的記述を一切特定していないのであるから、当審においても、本件プログラムのソースコードの文書提出命令の申立て並びに控訴人本人及びAの人証の申出は、いずれも必要性を欠くものとして却下したのであり、これと同旨の原審の判断に誤りはない。
自分の著作物を特定できていないのだから、相手方のソースコードを取り寄せても比較する対象がない――したがって取り調べる必要性がない、という論理です。控訴審自身も同じ理由で却下しています。その他の主張も上記認定判断を左右しないとされ、控訴は棄却されました。

▲ 図3 判断の流れ――「特定」でつまずくと、その先へ進めない
意義・射程
第一に、本判決は事例判断であり、プログラムの創作性といった著作物性の一般論には踏み込んでいません。判断されたのは、著作物として主張されているものが証拠上そもそも見えない、というより手前の問題です。
第二に、著作物の存在という入口で結論が出たため、その先の論点は判断されていません。共同著作物の要件、職務著作の成否、依拠性や表現上の本質的特徴の同一性、同一性保持権侵害の成否、損害額――いずれも判断は示されておらず、本判決を「共同研究成果の権利帰属の一般的基準を示したもの」と読むことはできません。原告プログラムがなぜ「全く不明」と評価されたのかという認定過程も、控訴審判決からは分かりません(原判決は本稿執筆時点で裁判所ウェブサイトへの登載を確認できていません)。
第三に、実務上最も重いのは、特定の欠如が証拠収集の道まで塞いだ点です。「相手方が持つソースコードを見なければ何も分からない」という状況はプログラム紛争でしばしば生じますが、本判決の枠組みでは、自分の著作物を特定できていない当事者はその入口を通れません。証拠の偏在を文書提出命令で補う発想は、自分の側の特定ができて初めて機能することになります。
なお、本判決の上訴・確定の有無は判決文からは分からず、本稿執筆時点で確認していません。
実務への影響・ポイント
以下は本判決の判断そのものではなく、同種紛争を扱う立場からの実務的な整理です。
1 「何を作ったか」を記述レベルで再現できる形で残す。 権利主張の出発点はソースコードそのものです。当時のリポジトリ、バックアップ、共同研究先に納品した媒体――何らかの形で具体的記述に到達できる証拠が要ります。論文や仕様書は、プログラムが何を計算するかを示しても、どう記述されていたかを示すとは限りません。
2 陳述書は特定の代わりにならない。 本判決は、陳述書2通によっても具体的記述が明らかにされているとはいえないと判断しました。「自分が書いた」という本人の記憶と説明は、著作物を土俵に上げる作業とは別物だという前提で準備すべきです。
3 共同開発・共同研究では、成果物の帰属と保存を最初に決めておく。 誰がどの部分を書いたのか、著作権は誰に帰属するのか、各当事者が控えを保持できるのか。契約段階でこれらを定めておくことが、後年の「特定できない」事態を避ける確実な方法です。
4 相手方の説明を自白と読みすぎない。 本件では、Aが控訴人の研究室で使用されていたプログラムを連動させて計算し学会発表したという趣旨のニタコンサルタント側の主張は、控訴人個人の著作物の利用を認めたものとは評価されませんでした。相手方が過去の経緯を認めても、誰の・どの著作物の利用を認めたものかが特定されていなければ、裁判上の自白としては機能しにくいのです。
まとめ
斜面安定解析プログラム事件は、ニタコンサルタント株式会社に対する2800万円の請求が、侵害の当否を判断されるはるか手前で退けられた事案です。知的財産高等裁判所は、原告プログラムの具体的記述として何が作成されたのか全く不明であるから著作物としての原告プログラムが存在するとは認められないとし、控訴人の著作者性を否定しました。具体的記述を一切特定していない以上、ソースコードの文書提出命令も尋問も必要性を欠くとして却下しています。
プログラムの著作権侵害を主張するとき、最初の関門は類似性でも依拠性でもなく、自分の著作物を具体的記述のレベルで土俵に上げられるかです。共同で作ったプログラムほど、この作業は年月とともに難しくなります。開発中の記録の保存と契約段階での帰属の取り決めが、将来の主張可能性を決めるといえるでしょう。
プログラムや研究成果の権利帰属、共同開発契約の設計、ソースコードをめぐる紛争について、当事務所では弁護士・弁理士の知見を横断してご相談を承っています。「自分の書いたコードが無断で使われているのではないか」「共同開発した成果物の扱いで折り合いがつかない」といったご不安がある場合は、証拠が散逸する前の早い段階でご相談ください。
出典・参考判例
- 知的財産高等裁判所第4部 令和8年(2026年)7月22日判決・令和8年(ネ)第10014号 損害賠償請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所令和7年(ワ)第3632号)・判決文PDF・裁判所ウェブサイト
- 原審・大阪地方裁判所令和7年(ワ)第3632号判決……裁判所ウェブサイトへの登載を確認できていないため、リンクは付していません。
参考文献
- 中山信弘『著作権法〔第4版〕』(有斐閣・2024年)135〜149頁(プログラムの著作物)、246頁(共同著作物)
免責
本記事は、公開されている判決文に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的アドバイスではありません。判決が判断していない事項については、その旨を本文中に明記しています。実際の対応にあたっては、必ず弁護士にご相談ください。
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